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スクール
2021.04.06
何のためにこの世に生を受けたのか。
早野美紀です。
本来の自分を生きるスクール、福岡クラスの振り返りです。
3月はこの1年をインナーセルフと共にしっかり振り返るクラス、近況を聞くクラスがありました。
振り返りをしていくクラスで、あるスクール生とインナーセルフとの会話がとても印象的でした。
スクールに通ってまだ1年経ってないので、通う前と今(インナーセルフと出会う前と今)のことを聞いたそうです。
インナーセルフは会ってからのことを
『気づいてもらえたことが嬉しかった。
それまでのあなたは自分自身を歩んでなかったから。
人の目を気にしすぎていたり、傷ついているのに傷ついてないフリをして、身体中に鎖が巻かれているように自分にとっての自由がなかった。
何のためにこの世に生を受けたのかといつも思っていたよ。
必要ない経験をして、本来持っている力を5%くらいしか出せていないことも、もどかしかく感じてた。
僕(彼女のインナーセルフは男性のようです。)に会ってからは一切疑わずに全てを受け入れて素直に行動してくれて嬉しかった。
それをしたから道に戻れてるんだよ。
遅れを取り戻してるから、たくさんの目には見えないサポートも入ってるよ。』と言われたそうです。
今後の仕事のことにもインナーセルフの言及がありました。
それを聞いていてじーーんとしました。
本質の自分(インナーセルフ)と繋がって二人三脚で生きる。
こんな心強いことはありません。
私たちが生まれてから死ぬまで、共に生きるのはインナーセルフだけ。
パートナーでも親でも子でもなく、インナーセルフだけ。
これを深く理解するまでは私も時間がかかりました。
物質世界を生きる私たち。
インナーセルフは目に見えないので、ひとりでいることを孤独だと感じてなんだか寂しく思ったり、しんどいことがあったらパートナーに聞いてもらって気休めをしたり、自分と共に生きるという感覚がとても薄かったです。
わかってほしいと他者に承認を求めていました。
その感情に乗っとられることはなくなったけれど、今でも癒すべき痛みはたくさんあるので、そんな思いが顔を出すこともあります。
そのたびに受け入れ、癒す日々です。
スクール生は自己探究をしていきながら自分を知り、見たくない自分、蓋をしていた感情とも向き合います。
そして勇気を出して少しづつ少しづつ本質の自分が望む生き方を選択していくのです。
その姿はとても美しいなと感じます。
【ほんの少しづつでも1mmづつでも、決して歩みを止めずそれをやり続ける。
結果を出すことより尊いのはやり続けること。
結果を出すことより大切なのは意志の力を使うこと。】
麻紀ちゃんは言います。
前述のスクール生も『とにかく毎日僕に会いに来て。』とインナーセルフに言われて毎日会いに行っていたそうです。
寝落ちしてしまうこともあったけど、忙しいことはインナーセルフも分かっているから会いに行こうとしていることを見てくれていた、と。
会いに行かずにTVを観ようとしていた時は、それはちょっと違うよねーと言われていたそう。笑
インナーセルフは自分自身ですから全部お見通しです。
インナーセルフとの絆を作ることも一歩一歩。
インナーセルフと繋がって、本質の自分を思い出し、こんなことがしたかったんだ!
こんなことを考えていたんだ!と、とてもじゃないけど顕在意識では気づかなかった自分に出会ったりもします。
私も顕在意識のところだけだったら、お手入れしたいだなんて上がってきてないと思います。
顕在意識は人の身体に触るのは苦手、向いていない、お話しの方が好きだと思っていたからです。
ある時、お手入れを学びたい!という想いが内側から湧いてきて、それを言葉にした時、自分でもビックリするくらいやっと言えたーー!と、とても幸せな気持ちに包まれました。
できるかどうかではなく、純粋にやりたかったのです。
すみれさんもお手入れをすることもされることもとても好きなようで、この時間を大切にしています。
なので、お手入れスクールで学んでいる時はその前の時間に私がバタバタしていたりすると、神聖な時間を穢さないでとよく叱られていました。
それを分からずふだん通りに気がそぞろだと、麻紀ちゃんから『すみれさんがイラついていますよ。』と教えてもらっていました。
今は少しづつやっとこさ、インナーセルフがイラついてる感覚は分かってきました。
優先順位を見誤ると、ドッキンドッキン動悸がします。
あ、叱られてる・・・と。
長年、インナーセルフと分離した生き方をしていました。
好きでやっていると思っていたこと、これでいいと思っていたことなんて全く当てにならないし、本当に浅はかだなと痛感します。
何のためにこの世に生を受けたのか。
インナーセルフと繋がって生きることで、この問いへの答えに近づくんだなとあらためて感じた時間でした。