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つれづれ

2018.11.10

本来の自分と繋がる。本来って?

小村真理子です。

わたしはブログやSNSでよく「本来の自分と繋がる」ということを書いています。
そもそもこの「本来」ってなんやねん!
何年か前のわたしはそう思ってました。

本来のわたしの声なのか、本来ではない一部のパーソナリティのエゴイズムの声なのかが分からなかったのです。
エゴイズムは自分が創り出しているので、自分をだますのもとても巧妙です。
いろんなことが分かってきて、できなかったことができるようになってくると、それと同時にエゴイズムのレベル?も精巧でありますので、それだけ自分をしっかりと観察することも必要です。

麻紀ちゃんには「監視」するくらい自分を律することが大切だと教えてもらいました。
ですので、常日頃から自分の言動を客観視するようになっていても、そこにあぐらをかくことなく、常に新鮮な気持ちで自分を見ることは大切だな、と思っています。

この本来の自分と繋がる感覚は心の奥底から、湧き上がるような純粋な思いです。
自分の本当にやりたいことや、本当に望むことを思い出し、
そこに損得も利害関係もなく、誰に何を言われても、もしひとりになっても、それでもそれをしたい!この人生で経験したい!
という、その根底は純粋な愛のベクトルからのもの。

わたし自身は自己探究をし続けていくことで、少しづつその感覚を経験するようになってきました。
経験するたびにそれは深く、大きく、あたたかいもので、そしてより明確にもなってきました。

ですが、はじめは簡単で楽なことではありませんでした。
なぜなら今までしたことがなかった、自分の未熟な部分としっかりと向き合うということが必要だったからです。

この部分は誰にでもあるエゴイズムであり、無知で未熟な一部のパーソナリティです。
その一部のパーソナリティが誤作動を起こすと、本来の自分とはかけ離れた言動になります。
なので、自分にどんなエゴイズムがあるのかを知っていることで、対処ができます。

エゴイズムである自分の闇の部分でもある痛みや傷を、正面切って見つめて、
なぜそんな痛みや傷になっているのかを知ることにもなるので、とてもツライことでもありました。

そこを隠したいばかりに誰かを非難したくもなるし、自分を守るために都合の良い言い訳をつくったり、そんな自分が可哀想でしょうと演じてみたり、そんな自分を責めて罪悪感をもったり、
だったらもう何にもしないで楽しいことだけしていたい!だって今までそれなりに楽しくて幸せだったもん!という、、、すべて恐れでエゴイズムですが。

自分のことなのに、自分がどうしたいかが分からない、自分の好きなことが何か分からない、自分のやりたいことが分からない、
そうであれば、まずは今の人間関係を整理する必要があるかもしれません。

わたし自身もそれまでの人間関係がガラリと変わった時期がありました。
その当時は人間関係を整理しようとは思ってはいなかったのですが、
わたしが大切に思うことを大切にできないような場所や
たくさんの人と楽しくてワイワイできるけど、その後はものすごく疲れるような環境から少しづつ線をひくようになっていました。

そしてある意味ひとりになって考えることが必要でした。
そのときに大切なのが、その場所や環境にいることが疲れて、辛いと感じる根底は恐れからの感情ではないかをしっかりと見極めることが必要です。

なぜならばエゴイズムに乗っとられていると、霊的な成長の学びに必要な環境から遠ざけようとしてきます。

ほとんどの人がこの人間関係を整理する段階では自分をクリアにして客観視できているかといえば、とても難しいことだとわたしの経験からは感じます。
なので、第三者のアドバイスというものが必要になってきます。

そして、そのときに大切なのが、自分の考え方が「理性(愛)を使った正しい考え方」なのかどうかということです。

理性は愛だともいいます。

ですが、ほとんどの人たちが「理性(愛)を使った正しい考え方」というものを教えてもらったことがないので、どうやって考えるのかが分かりません。

しかも、私たちが生まれ成長していく過程で、いろんな経験をして、誰かに批判されたり否定されたり、社会のルールや常識などで決めつけられたり、自分の思うようにいかなくて傷つき、怒りや悲しみといった恐れの感情を経験します。

そして、もう同じように傷つかないため、本当の気持ちに蓋をして本来の自分を忘れてしまうのです。

そうやって自分のことが分からなくなってしまっている人、
もしくは分かっていると思っていても、もしかするとそれは自分が勝手に思い込んでいる一部のパーソナリティという可能性もあるかもしれません。

無知で未熟な一部のパーソナリティのエゴイズムと繋がってしまっている状態です。

なので、この「理性(愛)を使った正しい考え方」を学ぶことはとても大切なことだと思います。
その学びの場所が本来の自分を生きるスクールです。

スクールではまずは何か問題が起こった時にまずは自分で考えること、そしてその考え方をスクールでシェアしていきます。そして、「理性(愛)を使った正しい考え方」のもとアドバイスを聞き、日常で実践していきます。

その訓練の繰り返しで自分の本質と繋がることにもなるのです。
そうやって自分のことは自分で考えらるようになってくるのです。

わたしたち一人ひとりが「理性(愛)を使った正しい考え方」を学ぶという作業は、生まれる前に決めてきた神聖なる計画を思い出すという作業でもあります。

地球上のどの魂も本当はそれを知っているのです。

わたしも、はじめはこの「理性(愛)を使った正しい考え方」というのがよくわかりませんでした。
自分が理性を使っていると思っていても、それが違っていたことが本当にたくさんあります。

特に絶対に自分が正しい、間違っていない。
という、強い思いほど、恐れまみれの考え方でした。
なので、自分は間違っていない、分かってほしいという気持ちが出たときはわたしの要注意ポイントでもあります。

そうやって、気を付けるところと真摯に向き合い、本来の自分と繋がり、本質の自分が望むことをただ行動していくこと。

それが自分で創った思い込みや制限から自由になって、思うように自分の世界を自分で創っていくということなのではないでしょうか。

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